Dr.Kの挑戦(第4回)こつこつと地道に努力する人は報われる

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Metabolic MemoryとLegacy Effect

 第3回でこれまでの医師としての臨床経験から得た現時点での一定の結論として、患者さんのQOL(生活の質、人生の質)を大きく損なう急変や重症化のリスクを最小化する医療を模索し続けることで、崖下(急変・重症化・入院)で待機して、自己犠牲的に懸命に働く勤務医の方々が長時間労働による過労やストレスから疲弊を来さないように、疾病の最前線で当院が取り組む医療の三本柱について概説しました。すなわち、

  • 血管(Kekkan)疾患発症の予防(第一のK)
  • 骨折(Kossetsu )から発生する負の連鎖の予防(第二のK)
  • 感染症(Kansenshou)の重症化予防(第三のK)

このうち第一のKに関して、当院の治療戦略の根幹をなす概念(Metabolic Memory:高血糖の記憶とLegacy Effect:遺産効果)について解説します。この概念は主に糖尿病治療に関する大規模臨床試験とその後の追跡調査から、糖尿病に伴う血管障害のメカニズムを解く鍵として示唆されたものである。Metabolic Memory(高血糖の記憶)とは、「過去にどのくらいの高血糖に、どの程度の期間曝露されたかが、その後の糖尿病血管合併症の進展を左右する」という概念である。

1型糖尿病を対象に、合併症抑制における厳格な血糖コントロールの意義を検証したDCCT試験では、6.5年間の追跡により、強化療法群で細小血管障害(神経障害、網膜症、腎症)の有意な抑制効果が確認され、試験終了後、さらに追跡を続けたEDIC試験では11年後に細小血管障害とともに大血管障害(心筋梗塞、脳梗塞、壊疽)の発症も有意に抑えられることが示されました(1)。

また、2型糖尿病患者を対象にイギリスで実施されたUKPDS 33試験では強化療法による大血管障害抑制効果に有意差が認められなかったが、その後の追跡調査UKPDS 80試験において、細小血管障害の進展リスク低下に加え、心筋梗塞や死亡に関しても有意なリスク低下が確認されました(2)。この研究では、こうした初期の良好な血糖コントロールによりその利益・恩恵が長く継続する、つまり遺産的効果が得られるという意味でLegacy Effect(遺産効果)という表現が用いられました。

しかし、その後2008年には糖尿病治療の歴史に長く名を残すであろう三大臨床研究が発表され,糖尿病と大血管障害についての複雑な関係を描写することになります。

まずは,2008年2月にACCORD試験中止の衝撃(厳格血糖コントロール群において死亡率が上昇)(3),6月にACCORD試験,ADVANCE試験の正式報告(厳格血糖コントロール群での大血管障害予防は有意ではなかった)(4),そして最後を飾るのが退役軍人糖尿病試験VADT試験です(5)。

UKPDS試験によって,血糖コントロールをよくしておいたことが,仮にその時点ではメリットをもたらさなくても,何年か後にメリットをもたらすというLegacy Effect(遺産効果)が証明されたが、VADT試験では発症後10年以上経過したような症例では厳格な血糖コントロールによる急激な血糖低下はむしろ有害かもしれないことが示唆され,低血糖に留意する慎重な治療が求められるようになったが、その中でMetabolic Memory(高血糖の記憶)の存在が再び注目されることになりました。

高血糖の記憶という点で、Metabolic MemoryとLegacy Effectは同じ現象と考えることができるが、当院では、Legacy Effectに関しては、病気の軽症の初期段階から地道に頑張って日々努力を重ね、自身の健康管理・健康維持に対して資源を投資を続けた人はいずれは報われると説明しています。これに対してMetabolic Memoryに関しては、病気の初期に放置して治療が遅れ、重症化してから短期間頑張って治療を強化して帳尻を合わせても報われないことがあるかもしれない、と自院なりの勝手な解釈で患者さんに説明しています。私は教育の分野に十数年間従事していたことがあるので、あたかも毎日地道に学習を積み重ねるこつこつ努力型の生徒と一夜漬け(自分はこちらであったが)の生徒のその後の人生を暗示するような概念に見えてきます。この教育的観点に関しては、当院での糖尿病治療(私は膵臓のβ細胞との対話と考えて治療方針を決めている)への応用を試みているところである。詳細は後日紹介したいと考えていますが、公開を待ちきれない方は是非クリニックの門をくぐってください。

これまで述べてきた概念(Metabolic MemoryとLegacy Effect)は、疾病の早期発見と早期治療の重要性について非常に魅力的な概念であり、特に産業衛生の場面で治療と就労の両立を支援する局面で非常に重要な意味を持ってくると考えているので、私のもう一つの顔・2枚目の名刺である労働衛生コンサルタントとしては会社の産業医、産業保健師、人事労務担当者、衛生管理者、経営者、管理監督者の方々に情報発信し続け、企業の健康経営の発展に寄与することが一開業医となった私のミッションのひとつであると考えています。次回以降で労働衛生コンサルタントとして、企業の健康経営に関して言及してゆく予定ですのでご期待ください。

文献:(1)  Nathan DM, et al. N Engl J Med 2005; 353: 2643-2653.

   (2)   Holman RR et al.: N Engl J Med 359(15), 1577-1589, 2008.

   (3)   ACCORD Study Group, et al. N Engl J Med 2008; 358: 2545-2559.

      (4)   ADVANCE Collaborative Group. N Engl J Med 2008; 358: 2560-2572.

   (5)   N Engl J Med 2009; 360: 129-139.

DCCT:    Diabetes Control and Complications Trial

EDIC:    Epidemiology of Diabetes Interventions and Complications

UKPDS : United Kingdom Prospective Diabetes Study

ACCORD: Action to Control Cardiovascular Risk in Diabetes

ADVANCE:Action in Diabetes and Vascular Disease:Preterax and Diamicron Modified Release Controlled Evaluation Observational Study

VADT:  Veterans Affairs Diabetes Trial