Dr.Kの挑戦(第9回)労働衛生コンサルタント

従業員の健康づくりの推進は「コスト」ではなく「将来への投資」

 これまで取り上げてきた生活習慣病治療に関する概念(Metabolic MemoryとLegacy Effect)について、理解していただけたでしょうか。私はこの概念が最大限生かされる医療の場面は産業衛生の現場だと考えています。今回は医師の立場を超えて、私の2枚目の名刺である労働衛生コンサルタントの立場から企業の健康経営に関して情報発信したいと思います。総括安全衛生管理者(事業場長)、産業医、衛生管理者又は衛生推進者等関係者の方々に、疾患を抱えた従業員の治療と就労の両立を支援する前提としてMetabolic MemoryやLegacy Effectという概念を理解すること重要性について紹介し続けたいと考えています。

 労働衛生コンサルタントとは、労働者の衛生水準の向上を図るため、事業場の衛生についての診断をし、それに基づいて指導を行う国家資格です。労働安全衛生法に関わる労働衛生管理体制、作業環境管理、作業管理、健康管理、健康保持増進等(労働衛生の3管理・5管理)の診断、改善、指導がその主な業務です。

 労働安全衛生法では、「事業者は、労働者に対する健康教育及び健康相談その他労働者の健康の保持増進を図るため必要な措置を継続的かつ計画的に講ずるよう努めなければならない。」と定められています。労働衛生コンサルタントは、職場の労働災害、職業性疾病の未然防止対策・再発防止対策の方法・考え方を具体的に事業者に助言する専門家と位置付けられています。

 労働衛生コンサルタントは、業務を行うために国家試験に合格している必要があり(国家資格)、会社や経営者の求めにより、事業場の衛生水準の向上のための診断及び指導を行う他、労働安全衛生施策に関する相談、教育、講演、資料の提供等が業務の内容ですが、企業だけでなく、厚生労働省や労働局からの委託事業もあります。きわめて高い倫理観が求められる存在であり、そこに大きな魅力を感じ資格を取得しました。国家資格者でも悪徳医師、悪徳弁護士などと揶揄されることがありますが、悪徳労働衛生コンサルタントという言葉は耳にしたことはありません。

  社会経済の大きな変化の流れにより、職場にも、多様な雇用形態、複雑な背景の労働者、高度化・複雑化された設備・職場環境、サービスの多様化などが大きな課題となり、その対応遅れとして重篤な災害や疾病発症、メンタルヘルスに関する諸問題が発生しています。これらは、単にブラック企業だからと決めつけがちですが、多くの事業所では、程度の差はありますが、法令違反や誤ったアプローチが見受けられるのが現状なのです。背景には、事業者、現場の管理監督者、作業者自身が労働安全・労働衛生のその立場での法的義務、あるいは法律知識、専門的技術知識、正しい組織・個人の労災防止の活動の方法を知らないことによることが大きな原因となっています。社会は問題のある企業をネット等で簡単にブラック企業とレッテルを貼りたがる傾向がありますので、企業も社員にとって安全かつ健康な経営の推進は急務になっています。そのような背景の中、職場に出向いて事業者、管理監督者、作業者に指導する労働衛生コンサルタントの仕事の量、範囲が増えている現状があります。事業所の衛生水準構造をするための支援業務、リスクの特定と見積もりや評価・提言措置、衛生管理教育を始めとした各教育の講師業務、外部委託の衛生管理者業務に携わるなど、事業所にとって労働衛生コンサルタントは重要な存在と考えます。

 近年、将来的な労働人口の減少を見越した人的生産性の向上が企業の重要な課題となっていることから、企業の従業員のメンタル面、フィジカル面の双方の状態を改善する取組を全社的に行い、従業員の健康増進を図ることで企業の生産性の向上につなげることを主な目的として従業員への健康配慮の必要性が高まりをみせています。従業員の健康増進の方法には、食生活や運動、飲酒、喫煙、メンタルなど従業員自身に対して直接にアプローチする方法と、労働時間や業務空間など企業の仕組みに対して間接的にアプローチする方法があります。また、近年日本では医療費データベースを活用して疾病の原因を究明する取組も行われています。効果としては、短期的には疾病の従業員の長期休業の予防、企業の医療費負担の軽減、企業のイメージアップが認められ、一方長期的には企業の退職者に対する高齢者医療費負担の軽減、従業員の健康寿命の長期化が見込めるとされています。

 アメリカでは公的医療保険がないため、高騰する従業員の医療費負担が企業経営の根幹にかかわる事態になっていたことをきっかけとして、1990年代から広がりをみせました。 従業員の健康促進にかかる費用を投資ととらえ、これにより、業績の向上につながることから、投資1に対しリターン3を得た実証研究もある。日本では2009年頃から大企業を中心に取組が始まっています。 そもそも、これまでの日本のデフレ経済下において、企業の人的コストの削減により、ブラック企業やワンオペ、長時間残業といった言葉に代表される従業員の労働環境の悪化していたことにより、自殺や労働災害としての裁判などの実害やリスクが、従業員側、企業側の双方において顕在化したことも、従業員への健康配慮の必要性が高まりを後押ししたと考えられる。 加えて、全国の健康保険組合の赤字額が合計で3,689 億円(平成 26 年度)に達し、赤字補てんとして企業の負担が増えていることから、従業員の健康増進により短期的、長期的観点で医療費削減をすることも目的の一つとなっている。日本政府としても、「国民の健康寿命の延伸」を日本再興戦略に位置づけている。また、2015年12月からは、一定規模以上の企業にはストレスチェックが義務化されることになっています。

 アメリカにおいて1992年に出版された「The Healthy Company」の著者で、経営学と心理学の専門家、ロバート・H・ローゼン(Robert H. Rosen)が提唱したことによるとされる「健康経営」は、「企業が従業員の健康に配慮することによって、経営面においても 大きな成果が期待できる」との基盤に立って、健康管理を経営的視点から考え、 戦略的に実践することを意味します。これまで別々ものとして独立していた「経営管理」と「健康管理」を統合し、個人の健康増進を企業の業績向上に繋げるという考え方です。従業員の健康を重要な経営資源として捉えて、健康づくりの推進を「コスト」ではなく「将来への投資」と捉える前向きな考え方に企業の関心が高まっています。従業員の健康管理・健康づくりの推進は、単に医療費という経費の節減のみならず、生産性の向上、従業員の創造性の向上、企業イメージの向上等の効果が得られ、かつ、企業におけるリスクマネジメントとしても重要です。 従業員の健康管理者は経営者であり、その指導力の下、健康管理を組織戦略に則って展開することがこれからの企業経営にとってますます重要になっていくものと考えられます。

 労働衛生コンサルタントは事業場との契約関係にもとづいて外部の専門家として助言をする立場となり、また、労働安全衛生法では、都道府県労働局長は、労働安全衛生法第78条第1項の規定による指示をした場合において、専門的な助言を必要とすると認めるときは、当該事業者に対し、労働衛生コンサルタントによる労働衛生に係る診断を受け、かつ、労働衛生改善計画の作成について、意見を聴くべきことを勧奨することができることになっています。2019年4月に「働き方改革関連法」が施行されたことによって、働く人の健康管理をしながら、いかに企業の生産性を引き上げることができるかに関心が高まっています。従業員の健康管理を重要な経営課題の1つとして経営的な視点で向き合う「健康経営」の最大の目的は、健康経営の対極にある不健康経営による 負のスパイラル を断ち切り、 正のスパイラル へと転換させることです。組織の統率力が高い日本の企業の場合、トップダウン型で健康経営に取り組むことが効果的であると考えられています。健康経営やメンタルヘルス対策の構築に当たっては、ぜひ、労働衛生コンサルタントを活用されて、その推進を図っていただきたくことをお勧めいたします。