Dr.Kの視点(第3回)ワクチンは人類愛かも

ワクチンの集団免疫効果

 ワクチン接種に対しては様々な議論が飛び交い、未だに推進派・反対派の妥協点が見いだせない意見がインターネット上で錯綜し混沌とした状態が続いています。医療関係者のなかにも、フェイクなワクチン情報に振り回されて混乱している方を時々見かけるので、今回は、ワクチン学の歴史を踏まえて、ワクチンの基本情報や定期接種の効果に関する米国研究製薬工業協会(PhRMA)発行の「ワクチンファクトブック」およびワクチン分野の世界的な権威として知られる米ペンシルバニア大のスタンレー・プロトキン名誉教授の教科書(Plotkin’s Vaccines, 7e、1720ページに及ぶワクチン学のバイブル)を根拠としてファクトな情報を提供・発信したいと思います。ワクチン接種の自己決定の判断材料の一つとしていただければ幸いです。

 「予防に勝る治療なし」ということわざは多くの国々で聞かれます。この考え方は18世紀後半のジェンナー医師が活躍した時代から、人類の健康を一変させてきたワクチン開発の歴史の中心をなすものです。天然痘は根絶され、ポリオはそのほとんどがほぼ制圧されています。そしていまや、はしかや風疹が根絶の対象となっています。子供たちに予防接種を行っている国々において、細菌性髄膜炎は極めてまれな疾患になってきています。また、出産時のB型肝炎垂直感染も事前に予防することができるようになりました。こうしたことの全て、そしてそれ以上のことが、ワクチンのたゆまぬ開発とその普及による努力によってもたらされたのは紛れもない歴史的事実です。こうした飛躍的な進展の多くは、わずか過去50年間の間に起こったことです。

 人類の進化の歴史は、様々な感染症との果てしない闘いの歴史といえるかもしれません。麻疹(はしか)やポリオというウイルス性感染症は、紀元前から人類と深く関わっていた記録が残っています。非常に病原性の高い感染症や突然現れる新型の感染症は、何度も人類を苦しめてきました。人類がこの長い戦いに勝利しているのは今のところ天然痘だけです。

 イギリスの医学者であり、近代免疫学の父とも呼ばれるエドワード・ジェンナーの功績(人痘接種より安全性の高い牛痘接種法の開発)により、予防をすればその病気にかからなくてすむ、あるいはかかったとしても軽くすむ、予防接種という強力な防御のための武器を手に入れました。人類の発明のうち、最も価値のあるもののひとつといえると思います。まさに世界を一変した世紀の発見と言っても過言ではないでしょう。その後、様々なワクチンが研究され生み出されてきましたが、今日の日本で接種できるワクチンは、28種類しかありません(2018年9月1日現在)。いまだに多くの感染症(特に新型コロナウイルス感染症)には、予防の手立てがないのが現状です。しかし、この28種類のワクチンは、感染症の発症やその重症化、死亡の転帰から私たちを守ってくれる重要なものばかりです。

 ワクチンのなかった1950年以前のわが国では、年間約10万人もの尊い命が麻疹、百日咳、ジフテリア等で奪われた苦い歴史ありました。一方、ワクチン接種が広く浸透した今日では、これらの感染症の大きな流行は見られなくなってきました。2016年、一時的に麻疹が流行しましたが、日頃からのMR(麻疹風疹混合)ワクチンの接種率の高さ(90~95%)により、感染拡大を防ぐことができました。

 ワクチンとは、病原体あるいは細菌が出す毒素の病原性や毒性を弱めたりなくしたりしたものです。これを接種しておけば病気にならず、体の中に免疫の記憶を残すことが可能になります。あらかじめ免疫の記憶を付けておけば、いざ本当の病原体が体の中に侵入してきたときに、素早く免疫によって体が守られ、病気にかからずに済むという訳です。ワクチンで予防できる病気のことをVPD(Vaccine Preventable Diseases)といいますが、VPDはワクチンで予防するのが公衆衛生上の観点から現代の感染症対策の基本となっています。

 予防接種(ワクチンを接種すること)の果たす役割は以上述べてきた通りですが、医療関係者の中でさえ一部にワクチンに関して誤解されている方に時々遭遇することがありますので、その目的・意義について改めて整理してみます。

 予防接種の目的・意義に関しては、以下の3つが挙げられます。すなわち、
① 一人一人がその病気にかからないように個人を病気から守ること(個人防御)。
② 住んでいるコミュニティ、つまり、集団での感染拡大を防ぐこと(集団防御)。
③ 予防接種を受けたくても受けられない人たちを感染症から守ること(集団免疫)。

  • ①は、当然のこととして理解できると思います。②、③は「集団免疫効果」に関わることです。妊婦や生まれたばかりの赤ちゃん、また、何らかの理由で予防接種を受けられない人たちがいます。集団全体で免疫を獲得することで、この人たちを守ることができます。この集団免疫効果は、定期接種としてほとんどすべての人が予防接種を受けることで達成できます。このようなワクチンの集団免疫効果のことを、無力な新生児・乳幼児をあたかも繭(Cocoon)でくるむように大切に守り育てるという意味でコクーニング(Cocooning)戦略と言います。

  2013年、日本は風疹の大流行に見舞われ、残念ながら40人を超える先天性風疹症候群の罹患児が出てしまいました。2015年2月末、愛知県と静岡県で14人の風疹患者が出たと報道されました。感染症の大流行の始まりは,いつもこういった小規模の流行(クラスター)から始まります。また、アメリカではディズニーランドでの感染を契機とした麻疹の流行が起こり、120人を超える感染者のうち、半分は麻疹ワクチンを打っていなかった人たちです。この未接種者の中には、まだ定期接種の時期になる前に感染した子どもだけでなく、「ワクチンは打たない」という信条の下に接種をしなかった人が28人もいたということです。

 これらの麻疹や風疹の流行を未然に防ぐ一番確実で効果的な方法はワクチン接種につきますが、世の中には「自分の子供にだけはワクチンは打ちたくない」と主張するワクチン忌避の人たちも少なからずおられます。こういった人たちの中には、運悪くワクチン接種による副反応の害を被った方もおられるでしょうし、ホメオパシーなどの「代替医療」を信奉する方もいるかもしれません。

 個人の価値観・人生観が尊重される現代社会で生きていくためにはこういった多様性をある程度許容していかなければいけないとは思います。しかし、それは自分を取り囲む人たちに迷惑をかけなければ、という大前提があってこそ初めて尊重されるべきと考えます。別に彼らがワクチン接種をせずに麻疹や風疹にかかってしまったとしても、周りに感染を流行させず、自分自身のなかで完結するのであれば「自己責任」という言葉で片付けられるのかもしれません。でも、彼らは自分自身が感染源になり、他の人たちに感染症をうつしてしまう危険性があるのです。現に、アメリカの麻疹のアウトブレイクはそのような形で起こっています。ワクチン未接種は「自己責任」では済まない問題になってきています。時々、医療従事者の中にも「ワクチンを打ちたくない」という人がいますが、ワクチンを打つ・打たないは個人だけの問題ではない側面があるのです。昨年はラグビーのワールドカップでの日本チームの大活躍で大いに盛り上がり、日本代表がスローガンにしていたOne Team(一体感のある組織を目指そう)という言葉が新語・流行語大賞の年間大賞に選ばれました。ワクチンはまさに、one for all,all for one(一人はみんなのために、みんなは一人・一つの目的のために)の世界観なのです。

 皆さんはワクチンの集団免疫という言葉をご存知でしょうか。集団の中で感染症に対する免疫を持っている人がいない状態で、その中に感染者が出ると、周りにどんどん広がって集団のほとんどが感染してしまいます。集団の中に何人か免疫を持つ人がいる状態では、その中に感染者が出ると、免疫を持っている人は感染しませんが、免疫を持っていない人はやはりほとんどが感染してしまっています。それに対して、集団のほとんどが免疫を持っていて、数人が免疫を持っていない状態ではどうでしょうか。その中に感染者が出ても、周囲は免疫を持っている人ばかりなので周りに感染は広がらず、結果的に免疫を持っていない人にまで感染が及んでいません。これが集団免疫の概念です。

 麻疹ワクチンや風疹ワクチンは生きたウイルスを弱毒化させた生ワクチンなので、ステロイドを内服しているような免疫不全患者さんは接種することができません。しかし、同時に、免疫不全患者さんは麻疹や風疹に罹患すると重症化してしまいます。ワクチンが抱えるこの悩ましい問題に対する、一つの解決策は集団免疫です。われわれが麻疹ワクチンや風疹ワクチンの接種率を高めることで、間接的に生ワクチンを接種できない免疫不全者を麻疹や風疹から守ることになるのです。これはインフルエンザワクチンも同様です。インフルエンザに罹患して重症化するリスクが高いのは高齢者ですが、成人と比較して高齢者ではインフルエンザワクチンの効果が低いことが知られています。しかし、われわれがインフルエンザワクチンの接種率を高めれば、その集団免疫効果によって高齢者の感染を防ぐことができるのです。

 確かに、インフルエンザワクチンを接種してもインフルエンザにかかることはあります。それでも高齢者に接する機会の多いわれわれ医療従事者は、インフルエンザワクチンを接種して弱者のための盾・防波堤にならないといけないのです。われわれは、自分たちの防御だけのためにワクチンを接種しているわけではないのです。ワクチンを打たなくても病気に罹らないことが多いのは、ワクチンの集団免疫効果により病気が抑えられているからです。ワクチンを打たない子供が増えるとワクチンの持つ集団免疫は崩壊してしまいます。

 幼児が百日咳に罹患すると重篤化することがあります。特に、生後5週未満の幼児は死亡することがあるので、適切な対応が必要です。ワクチンのコクーニング(コクーン戦略)という概念を耳にされたことはおありでしょうか。コクーニングとは、新生児・乳児に接触する(近くで世話をすることで感染症をうつしてしまう可能性のある)母親や家族が、事前に百日咳の予防接種を受けて免疫を獲得することで、予防接種を完了するまでに新生児・乳児が百日咳に感染から守るための概念・戦略のことです。 すなわち、百日咳の免疫を持たない新生児・乳児に関わる周辺の成人が積極的にワクチン接種することで、か弱き存在をあたかも繭(Cocoon)でくるむようにして守る戦略なのです。

 今現実に人類は新型コロナウイルス感染症の前で水際作戦や手指消毒・マスクなどの予防的措置で対応するしか手立てがなく、一日も早くワクチンが開発されることを祈るばかりです。その中でコクーニング戦略や集団免疫効果はまさにワクチンのもつ人類愛、博愛主義(フィランソロフィー)、利他主義を象徴する人類の英知と考えます。

コクーニング解説 http://www.immunize.org/catg.d/p4039.pdf

CDC コクーニング解説 https://www.cdc.gov/pertussis/pregnant/mom/protection.html